昭和の初期から中期には、お雛祭りのお節句のお祝いとして、お重を作ってもらい、地域の子供達が連れ立って野原でお重のご馳走に舌鼓を打ったものです。

近頃ではすっかり忘れ去られた行事ですが、野原を駆け回ったり、今では日常の食べ物ですが、当時はとても食べられないご馳走として心華やぐ一日だったことを覚えております。

長野操江先生のご指導でご馳走が作られていきました。

お重は、日頃

お重は、日頃の成果を見せるためおうちに持って帰って 、子供たちと味わっていただきました。

鄙の花では、皆さんとカフェ風にして戴きました。

どれもおいしく感動モノでした。